2025年、シンガポールの居住世帯の77.2%が、住宅開発庁(HDB)の建てた住宅に住んでいる。持ち家率は2024年で90.8%。HDBが完成させた住宅は100万戸を超える。
独立前、公共住宅に住んでいたのは人口の8.8%だった。1960年にHDBが設けられ、1966年に成立し翌年に施行された土地収用法によって、国が土地を取得できるようになる。いま国土のおよそ9割を国が持っている。
ただし、住民が買っているのは土地ではない。99年の借地権である。
01 国が土地を持ち、99年を貸す
HDBの住宅は、99年の定期借地の上に建つ。購入者は強制積立の中央積立基金(CPF)を使って支払うため、月々の返済に現金を出さない世帯も多い。初めて買う世帯には、市場価格からの割引が付く。
この仕組みのもとで、持ち家率は1970年の29.4%から1990年には87.5%へ上がった。20年である。以後その水準が続いている。
注目したいのは割引でも積立でもない。99年という数字のほうである。
土地を売り切れば、その土地は永久に手元を離れる。国土が限られている以上、次の世代に配る原資がなくなる。期限を切れば、土地は必ず戻ってくる。シンガポールは、住宅を売りながら土地を手放さない方法として、年数を選んだ。
02 誰が隣に住むかも、設計されている
1989年に民族統合政策(EIP)が入った。住棟ごと、地区ごとに民族構成の上限を定め、特定の集団が一か所に固まらないようにする。売買の相手も、この枠のなかで決まる。
第2回のヘルシンキは、賃貸に偏った地区に持ち家を足すことで住まい方の構成を調整していた。シンガポールは住棟の単位で、誰が隣に住むかまで枠にはめている。
ねらいは同じではない。ヘルシンキが見ているのは地区の社会経済的な偏りで、シンガポールが掲げるのは民族の統合である。それでも二つの都市は、同じところに手を伸ばしている。住宅という箱だけでなく、誰がどのような構成で住むかまでを、都市の側の設計変数として持っている。
そしてシンガポールでは、その設計が構成にとどまらず、住む権利の年数にまで及んだ。
03 99年目が近づいてきた
1960年代に建った住宅は、いま築60年を越えた。
2017年、当時の国家開発相が、古い住宅は借地の期限が来れば国に返るのだと改めて述べた。法律上は明らかなことだったが、反応は大きかった。多くの世帯が、自宅を老後の資産と考えていたからである。
国は建て替えの仕組みを持っていた。選択的再開発(SERS)である。再開発の価値が高い住棟を国が選び、強制的に買い取って、新たに99年の借地が付いた住宅を近くで提供する。1995年以降で80件が完了し、82の地区で4万1千を超える世帯がこの仕組みを通った。ただし対象になるのは全住宅の5%程度と見込まれていた。
2025年8月5日、国家開発相はSERSの新規案件の予定はないと述べた。代わりに進めるのが任意早期再開発(VERS)である。築70年あたりで住民が投票し、可決されれば国に売り戻す。可決の基準はまだ決まっていない。2030年代前半に一部で始め、後半に広げる。補償はSERSより手厚くないと見られている。
つまり大半の住宅では、借地の残りが今後、1年ずつ確実に減っていく。
【命題】
期限を決めることと、期限までの道を用意することは別である。出口が一部にしか開いていない期限は、残りの住民には目減りしていく時計に見える。
04 年数を数えることと、年数が尽きること
第1回で、都市の物差しには年数の欄がないと書いた。シンガポールは、その欄を権利証のなかに書き込んだ都市である。何年住めるのかが、最初から数字で決まっている。
尽きた日に何が起きるかも、決まっている。借地が満了すれば住宅は国へ戻り、残る価値はない。歴代の首相が繰り返し述べてきたとおりである。
決まっていなかったのは、そこへの着地のほうだった。SERSは1995年から動いていたが、出口が用意されたのは全住宅の5%程度にすぎない。残りは、借地が尽きるに任されていた。VERSは、築70年から99年までのおよそ30年を使って、その出口を時間の側へ分散させる試みである。政府は、1970年代から1980年代に集中して建てた住宅を自然の満了に任せると、2070年代から2080年代に移転が一度に来ると説明している。
日本の住宅は、土地を売り切る形が主流である。定期借地権のマンションもあるにはあるが、国土交通省は、所有権型に比べて供給が少なく市場に広く普及しているとは言えないとしている。
期限がないぶん、年数が尽きる不安もない。代わりに、次の世代へ配る土地も戻ってこない。2023年に相続土地国庫帰属制度が始まったが、これは申請と審査を経る仕組みで、住宅の期限が来れば土地が公へ自動的に戻るというものではない。
どちらが優れているという話ではない。年数を数えるなら、終わりまで数えるだけでは足りない。終わりへ至る時間まで設計しなければならない、ということである。
次回は韓国の松島。設計した引力と、実際に働いた引力がずれた都市を扱う。
注:世帯の居住形態と持ち家率はシンガポール統計局、選択的再開発および任意早期再開発は住宅開発庁(HDB)の公表資料による。1970年から1990年の持ち家率は同統計局によるが、1970年はprivate households、1980年以降はresident householdsで、母集団の定義が一致しない。2018年の首相説明は首相府の公表資料、現首相の説明は本人への取材報道、2025年8月の国家開発相の発言も報道による。定期借地権マンションに関する記述は国土交通省、相続土地国庫帰属制度は法務省の公表資料による。いずれも2026年9月時点で確認できる内容にもとづく。