LONGNOW Business Review | 連載「何を数えるか」 第6回
三つしか、道はない
― 効かない資産を、どう扱うか ―
味の素は、パソコンの中にいる。
高性能CPUのパッケージ基板には、回路の層と層を絶縁するフィルムが挟まれている。味の素ビルドアップフィルム、通称ABF。この用途における世界シェアは、ほぼ100%である。
起源は調味料である。1960年代、うま味成分を製造する研究の過程で見つかった副産物を、何かに使えないか。そこから1970年代にファインケミカル事業が立ち上がり、難燃剤や接着剤が生まれ、1999年にABFが発売された。うま味調味料の副産物が、いま半導体産業の詰まりどころに立っている。
味の素が動かしたのは、技術ではない。置き場所である。
前稿までの五稿は、いずれも診断であった。どの型か、いま何段目か、律速にあるか、定義しているのはどちらか。本稿は処方を扱う。効かないと判定された資産を、どうするかである。
0. 本稿が主張しないこと、および利害の開示
本稿は複数の企業を実名で扱う。記述は公表資料および報道の範囲に限定し、経営判断の当否、責任の所在、および別の判断があれば異なる結果になったという反実仮想は扱わない。
前稿と同じ開示を繰り返す。弊社の主要なクライアントの一つは造船会社である。第8章で造船に触れるため、当該章は利害関係者による発言である。そのうえで、特定の造船企業には言及しない。
1. 診断のあとに来る、間違った反射
前稿で、破れてはいないが産業の詰まりどころに立っていない資産を「不活性」と呼んだ。この判定を会議室に持ち込むと、ほぼ確実に次の反応が返る。
では、売るべきか。
これは誤りである。不活性であることは、価値を生まないことを意味しない。売上は立つ。現金も出る。減損テストも発火しない。不活性が意味するのは、ただ一点――その資産は、いまのままでは定義権に転換できない、ということだけである。
そして処方は、三つしかない。
2. 三つの道

順に見る。
3. 第一の道 ― 移動
富士フイルムの写真フィルム事業は、2000年前後において、売上の約6割、利益の最大約7割を占める屋台骨であった。そして世界需要は2000年をピークに年20〜30%の速度で落ち始め、10年で10分の1以下になった。市場が縮んだのではない。消えたのである。
ここで重要なのは、技術は何も劣化していなかったことである。写真フィルムの主原料はコラーゲンであり、同社は創業以来80年以上、コラーゲンを安定させ劣化を防ぐ研究を続けてきた。写真の色あせを防ぐ抗酸化技術も、極薄のフィルムに微粒子を均一に分散させる技術も、そのまま残っていた。
2003年に社長に就任した古森重隆氏が行ったのは、全社的な技術の棚卸しである。保有する技術資産を洗い出し、写真フィルム以外の市場に転用できる可能性を探った。その結果として、2006年に化粧品・サプリメント分野への参入が決まる。人の肌とフィルムには、コラーゲンという共通の主成分があった。
同じ嵐の中に、コダックがいた。世界で初めてデジタルカメラを試作したのは、1975年のコダックのエンジニアである。技術で負けたわけではない。
差は、一つの問いに答えられたかどうかにある。
「フィルム」という言葉を使わずに、自社の技術を説明するとどうなるか。
この問いに答えられれば、コラーゲンと抗酸化と微粒子分散の会社という別の記述が現れる。答えられなければ、フィルムを作っている会社のままである。そして市場が消えたとき、後者はフィルムとともに沈む。
移動とは、資産を物理的に動かすことではない。資産の説明の仕方を変えることである。そして移動が成立する条件は一つ――移動先が、実際に律速である場所であること。効かない場所から効かない場所へ移しても、何も変わらない。
4. 第二の道 ― 転換
冒頭のABFに戻る。こちらは、動かずに条件を作った例である。
かつて基板の絶縁材は液状で、塗って乾かす工程を片面ずつ繰り返す必要があった。味の素の研究者はこれをフィルム状にした。四つの工程が「貼る」の一工程になり、両面を同時に加工できるようになった。
ここから先が、転換の本体である。ABFは顧客の製造工程そのものの前提になった。貼る前提で基板の設計と設備が組まれている以上、他社品への切替は工程の再検証を伴う。前稿の言い方をすれば、切替費用を払うのは顧客の側である。だから、ほぼ100%のシェアが20年以上維持されている。
転換が成立した条件は、規格が新設される局面に居合わせたことである。既に確立した規格に後から割り込むことは、ほとんどできない。逆に、新しい工程が生まれる瞬間には、誰の規格も存在していない。
ただし、転換は永続ではない。ABFの市場規模は2023年時点で約6,760億円と推計されており、この規模は攻めるに値する。実際、米国のスタートアップがこの領域への参入を表明している。転換した位置も、守り続けなければ律速から外れる。
5. 第三の道 ― 運用
三つ目は、移動も転換もせず、現金を生む資産として運用し、それ以上を期待しない道である。
これは敗北ではない。第三稿でこう書いた――誤りは投資することではなく、それを差別化要因として数え続けることにある。現金製造機を現金製造機として扱うことは、判断として正しい。すべての資産が定義権を取りにいく必要はない。
ただし、条件が二つある。

選ばれていない第三の道は、第三の道ではない。ただの放置である。
実務では、多くの企業がこの道を歩いている。問題は歩いていることではなく、歩いていると自覚していないことである。自覚のない運用は、成長投資を吸い続けながら成長を生まない。そして損失が出ないため、見直しの契機も訪れない。
6. なぜ、売却は三択に入らないのか
冒頭の反射――売るべきか――に戻る。売却が処方にならない理由は、単純である。
不活性資産は、最も高く売れない。買い手も同じ判定ができるからである。高く売れるのは、その資産が律速だったころである。しかし律速であるならば、売る理由がない。この矛盾は解けない。
したがって売却は、選択肢として並ぶものではない。三つのいずれも選ばなかったときに、遅れて訪れる結果である。そして遅れるほど、条件は悪くなる。
7. 命題
【三処方命題】
不活性資産に対する処方は三つしかない――律速位置への移動、切替費用の創出による転換、現金資産としての運用である。
売却は処方ではなく、三つのいずれも選ばなかった場合に遅れて訪れる結果である。
そして第三の処方は、選んだと明示され、成長投資が停止されたときにのみ処方として成立する。明示のない運用は、処方ではなく放置である。
8. どの道を選ぶか
順に問えばよい。三問である。

①と②に「いいえ」と答え、③にも「いいえ」と答えた場合――それが現在地である。三つのどれでもない場所に立っている。
なお①の判定には、自社の技術を自社の製品名を使わずに記述する作業が要る。富士フイルムの棚卸しが行ったのは、それである。製品名で書かれた技術リストからは、移動先は決して見つからない。
9. 造船へ ― 一般論として
前稿までに、造船の層構造と、そのうち建造能力が時差型であることを述べた。本稿の三択を、この分野に当てておく。
時差型は、不活性とは異なる。不活性は破れないが効かない状態であり、時差型は縮み続ける状態である。したがって処方も違う。時差型に対しては、三択の前にもう一つの問いがある――縮み終わるまでに、間に合うか。
そのうえで、この分野には第二の道が開いている局面がある。前稿で述べたとおり、代替燃料をめぐる規格は、まだ書き終わっていない。規格が新設される局面に居合わせているという条件は、いま満たされている。その局面は、長くは続かない。
具体的にどの領域でそれを試みるかは、本稿では扱わない。各社が自らの記録の棚卸しから始めるべき作業であり、外部から一般論として提示すれば必ず誤る。
結語 ― 名前を与えると、議題になる
効かない資産には、これまで名前がなかった。減損もせず、赤字も出さず、指標のどこにも異常を示さない。名前のない状態は、議題にならない。
ABFの原型は、1960年代には調味料工場の副産物だった。それが半導体の詰まりどころになったのは、性質が変わったからではない。置かれた場所が変わったからである。
同じことが、逆向きにも起きる。いま効いている資産も、産業の詰まりどころが動けば効かなくなる。そのとき問われるのは、資産の優秀さではない。三つの道のうち、どれを選んだかである。
捨てるな。置き直せ。動かせないなら、そう決めよ。
出典注記
味の素ビルドアップフィルムの起源、製品化の時期、用途、シェア、および市場規模の推計に関する記述は、同社グループの公表資料および業界報道に依拠する。シェアと市場規模は推計であり、集計範囲および調査主体により幅がある。競合の参入表明に関する記述も報道に基づく。
富士フイルムの写真関連事業の売上・利益構成比、写真フィルムの世界需要の推移、技術の棚卸しの実施と化粧品分野への参入時期、およびコダックによるデジタルカメラの試作に関する記述は、いずれも公表資料および報道に依拠する。構成比の数値は集計範囲により幅があり、写真フィルム単体と写真関連事業全体とでは値が異なる。
「フィルムという言葉を使わずに自社の技術を説明する」という問いの立て方は、同社の事業転換を論じた複数の解説に共通して現れる整理であり、本稿はその趣旨を要約したものである。当事者の発言の逐語ではない。
三つの処方という区分、および三問の順序は、経営上の論点を抽出するための整理であり、唯一の分類を主張するものではない。時差型資産への適用については本稿第9章に記した留保が伴う。
本稿は企業の公開情報を経営構造の分析素材として用いるものであり、特定企業の経営判断の当否、個別の主体の責任、および政策の当否を論じるものではない。
LONGNOW K.K. | 未来へ続く今を、動かす。Now, for the Long.